野草・野鳥・風景写真集


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ユキワリイチゲ

「この緊急事態に何を悠長な」と叱責の声がかかりそうなことは覚悟の上で、ユキワリソウの群生地を訪れた。ユキワリイチゲは、スプリングエフェメラルの多くがそうであるように、気温が12℃以上で、かつ、日照がないと咲かない花である。二つの条件を見事に満たした今日は絶好の散策日和で、来週以降、花の開花期間の間にこのような好条件の日が訪れるかどうか心配でもあったので、意を決しての野草散策。

現地へは10時15分ぐらいに到着。ユキワリソウが開花を始めたばかりだったようだ。人それぞれに好みもあろうが、私は7、8分咲きが好きなので、絶好のタイミングとなった。花は青味がかったピンク。撮影している間に徐々に開花が進み、帰る頃には陽が当たっている場所ではは完全に開いていた。

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# by shun_photo | 2011-03-13 21:53 |   滋賀県

東北関東大震災

昨日、3月11日、昼食を終えていつものように2階の自室でパソコンに向かって作業をしていたら、ふいに目まいでも起こしたように頭がフワフワし、身体もなんとかく揺れているような感じがした。ふと電灯に目をやると、蛍光灯が大きく揺れており、原因が地震が発生したことによるものであることを知った。しばらく椅子に座ったままで様子を見ていたが、一向に揺れが収まらないので危険を感じて階下に降りた。

その揺れの時間があまりにも長かったのでどこかで大地震が発生したに違いないと思ってテレビをつけてみると、思った通り東北地方で大地震が発生したとの放送が流れていた。それによると、発生時刻は14時46分ごろ。地震の規模はマグニチュード8.8(その後訂正されて9.0)、震度7の烈震で、震源地は牡鹿半島の東南東130キロ付近で、震源の深さは約24キロ。この地震は、日本の観測史上最大規模のもので、1900年以降世界で発生した地震の中でも4番目という巨大地震である。気象庁は、地震発生同日、この地震を「東北地方太平洋沖地震(東北関東大震災)」と名付けた。

三陸沖地震に関しては、つい先ごろ吉村昭の「三陸海岸大津波」(文春文庫)を読んだばかりで、その記憶も生々しい。物語は、1896年(明治29年)6月15日に発生した「明治三陸地震」を題材としたもので、そのときの地震規模はマグニチュード8.2~8.5とされ、すさまじい大津波が東北地方の海岸地域を襲った。特に綾里湾の奥では日本の本州で観測された津波としては最も高い波高38.2mを記録したという。もちろん当時は護岸堤防などは無く、この地震では2万2千名もの死者を出した。

「三陸海岸」という名称もこの大津波を契機に名づけられたものだという。三陸海岸は、東北地方の太平洋側、青森県南東端から岩手県沿岸部を経て宮城県の牡鹿半島までの海岸の総称で、総延長600km余りの地域をいい、三陸とは、1869年戊辰戦争後の太政官布告による知行域の再編成により、陸奥・陸中・陸前の3つの陸の付いた国が「三陸」と総称されるようになり、旧知行域を指す言葉として用いられるようになったとのことである。

なぜこの地域でこれほど頻繁に地震が発生するのか少し調べてみた。
三陸地方を中心とした地域では、これまでも度々大きな地震が発生しており、最近では2008年の「岩手・宮城内陸地震(M7.2)」が記憶に新しい。この時、実は栗駒山・焼石岳から鳥海山への野草散策を計画していた。当初予定どおりに旅行をしていれば、地震発生の翌日に栗駒山荘に宿泊することになっていたが、地震発生により現地へ行く道が寸断されたため、日程を改めて中部山岳へと行先を変更したことが思い出される。それより以前の大地震では、2003年の「三陸南地震(M7.0)」、1978年の「宮城県沖地震(M7.4)」などがある。

宮城県沖では、これまで25-40年という比較的短い間隔で周期的に大地震が発生しており、地震調査研究推進本部の長期評価によっても2010年1月1日から10年以内での発生確率は70%程度とされていたということである。今回はまさにそれが的中したことになる。

東北地方などが載る北アメリカプレートの下に、同地方の東方沖で海洋プレートの太平洋プレートが沈みこんでいる。この両プレート間で両側のプレートから圧縮を受けて歪みが生じ、プレート間に存在する活断層が活動する事によって発生する地震動の内、牡鹿半島沖を震源とするマグニチュード7.5前後の地震を「宮城県沖地震」と言う。

今回の地震では、地震それ自体の被害もさることながら、津波によってかなり広範な地域に大規模な被害が生じている。さらにそれに追い打ちをかけるように火災が各所で発生し、被害を拡大させることにもなった。現在のところ、死者・行方不明は1,300人(その後の情報では2万人)を超える模様で、暦の上では春を迎えたとは言いながらまだまだ冬の名残を強く留めている現在、一刻も早い救援が望まれるところである。

今日もテレビの画面には早朝から途切れることなく悲惨な被災状況が映しだされている。この未曽有の災害に遭遇され、心ならずも命を落とされた方々のご冥福を祈らずにはいられない。また、かろうじて生き残った方には最愛の肉親を亡くされた方、住居を失ってしまった方も多いと思う。そうした方たちの悲しみや今後のご苦労を思いやるとき、お慰めする言葉もない。

東海・東南海大地震の発生予測がなされてから久しいが、明日は我が身である。現在、自分の住んでいる地域は、戦後に田畑を埋め立てて宅地造成された土地だということであり、近くには1級河川が流れている。市が作成したハザードマップによれば、この地域では液状化現象の発生する危険性が指摘されており、極めて軟弱な地盤であるらしい。あれほどの巨大地震はかつて経験をしたことがないだけに、イザというときどのように対処したらよいものか見当もつかない。「備えあれば憂いなし」。そろそろどのような備えをしたらよいか、真剣に考える必要がありそうだ。
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# by shun_photo | 2011-03-12 14:32 | ときどき日記

野草図鑑データ整備

このところ野草散策にも出掛けず、野草図鑑のデータ整備にかかりきりになっていて、まさに引き籠り状態。現在のところ失われた369件のデータのうち、ようやく218件のデータを調べ終えた。なにしろ10件も調べると作業に嫌気がさしてくるので、小説を読んだりして気分転換を図り、また続けるということの繰り返し。こんな状態だから一日に出来るのはいくら頑張ってみても40件が限界。

蔵書の野草図鑑はもとより、ネット情報なども参考にしながら作業をするわけであるが、どのサイトを見ても調査項目の何かが欠けており、自分が必要とする情報を一覧できるサイトはまず皆無といってよい。その中でも、和名の由来を調べるのが最も大変で、一つだけの情報だけでは心もとないので、いくつかの情報を比較して最もふさわしいと思われるものを選択し、文章表現も自分なりに工夫しながらの作業となり、1件調べるのに30分以上かかることも稀ではない。

野草の種名には比喩がよく用いられる。たとえば、サクラソウモドキはサクラソウに良く似た花、バイカオウレンはウメの花によく似たオウレンという意味であるが、それだけでは味気ないので比喩の対象となった花名の由来まで調べることとなる。消失した野草図鑑にはよく比喩に使われる野草の和名由来一覧があったのだが、今更それを作り直す気にもなれず、現存するデータの中から必要に応じて引用している。

野草の名前を覚えるには和名の由来を知っていると親しみも湧き、名前も覚えやすくなることから可能な限り調べることにしている。また、野草の分布地域、生育環境、草丈、花期などは初見の野草を同定する場合には重要な要素であり、欠くことができない情報である。野草図鑑は、まずは自分の今後の参考のために作成しているものであるが、同時にそれをホームページ上で公開することによって、同種の興味を持っている人が野草の名を同定するに際しての一助ともなればというつもりで作成しているので、できるだけ多くの情報を掲載したい。

本来であればこうした基礎的な情報の他に、野草の花や茎、葉の状態などの特徴を掲載するとさらに利用価値が高まるとは思うが、これまで年間100~200種の初見花があって、その追加作業に追われているのが現実で、現在のところとてもそこまでは手が回らない。ああ、助手が欲しい。(笑)
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# by shun_photo | 2011-03-10 13:56 | ときどき日記

一家の主

吉村昭の「一家の主」を読んだ。この本は、1974年に発行されたものだから、今から37年前ということになる。最初に目次を見たときには随筆かなと思ったが、れっきとした小説。内容は、家族の絆を題材にしたものである。

夫である主人公は、結婚当初「一家の主」としての威厳を保ち、妻もそのようにして接していた。しかし、子供が生まれて成長するにしたがって、家の中での妻の存在が徐々に大きくなり、夫は単なる「給料運搬人」と化してしまう。子供たちも中学生以上にもなると、すっかり母親に取り込まれて父親には関心を持たなくなり、何事につけても母親の言うことを聞くようになっていく。

休日ともなれば夫たる者は、仕事の疲れを癒すため家でノンビリしていたいと思うのが人の常であるが、夫のそうした生活態度を見て、妻は邪魔者でも扱うように邪険な態度を示すようになり、次第に夫の居場所が失われていってしまう。気が付けば妻が家の真ん中にドーンと居座って、夫たる自分は片隅に追いやられているような悲哀を味わうことさえある。とは言え、夫婦仲が険悪な雰囲気になるわけでもなく、家族との絆だけが薄らいでいくような淋しさを感じることが多くなった。

それに輪を掛けたのが給与の口座振替だった。それまでは妻に対して「生活費を与えている」ことで一家の主としての体面を保ってきたのだが、今度は妻から「小遣いをいただく」身分になったばかりか、残業代やベースアップの差額などの臨時収入すら白日のもとにさらされ、小遣いにも不自由するような状態に置かれることになってしまった。家庭の経済面からも一家の主としての影が薄くなった夫はますます鬱屈とした日々を過ごすようになる。

夫はいつも残業や上司・同僚などとの付き合いで帰宅は遅くなる毎日を送っていたが、ある日仕事が定時に終えることができたので、たまには早く帰宅すれば妻も喜ぶだろうと思い、寄り道もせずに玄関を開けた。妻「食事はまだ?」、夫「まだだよ」。妻「私たちはもう食事は済ませたし、連絡もなしに突然早く帰ってこられても材料もないので食事の用意はできません」。ここで夫はキレた。

以前、飲み屋で「家出した夫を泊めてくれる館がある」と聞いていた彼は、そこで奮然と家出を決意する。替着や身の回り品を買い求めて館へ行ってみると、たった千円の宿泊費なのに、まるで殿さまになったような行き届いたもてなしを受け、しばらく滞在することを決める。

結果的には数日後、夫の実弟のとりなしもあって家に帰ることになるのだが、そこで妻に出した条件が「一家の主」として、殿さまのような処遇をすること。しかし、それも長くは続くまいと内心では思うのだが、妻からそれに従うとの言葉を得て帰宅を決めた。

この物語はもちろんフィクションであり、しかも時代が現在とは大きく異なる。一概にこういう家庭ばかりとは言えないものの、世の夫の中には家出はともかくとして、これに似たような経験をされた方もおいでだと思う。曰く「夫元気で留守が良い」。これは多くの妻たちの偽らざる気持ちではないか。長年仕事を勤め上げて、リタイアしてようやく安穏な暮らしに戻った夫に対して、「濡れ落ち葉」、「俺も族」などと蔑みに満ちた言葉が陰で交わされていることは珍しいことではない。

夫婦であれ、親子であれそこに人間関係があることに変わりはなく、それゆえに一方だけが悪いということはそれほどあるとは思えない。世の夫たる者、妻から邪険にされないためには趣味に勤しむなり、ボランティア活動をするなどして外の空気にも触れ、日ごろから自分の「居場所」を作っておくことも大切であろう。夫婦で共通の趣味を持つことも結構だとは思うが、まかり間違えばそれが争いの元にもなりかねないので留意する必要がある。

バブルがはじけて久しい。国も企業も疲弊し、その後の我々の生活は非常に厳しいものがある。世の中の風潮も、こうした世知辛い世相を反映して些細なことにも目くじらを立てて騒ぐ。マスコミがさらにそれを助長してギスギスとした世の中になってしまい、精神の「寛容」さが失われている。地域の連帯は遥か以前に失われ、今では「無縁社会」なる言葉が語られるようになった。家族の絆さえ、「老人の孤独死」が問題視されているように、すべての人間関係が希薄になっている。なんとかならないものか。この小説を読んでふとそんなことを考えた。
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# by shun_photo | 2011-03-05 23:22 | 読 書

2011 最新伊吹野事情 PARTⅡ

先日、伊吹を訪れたとき「セツブンソウふれあい祭」に写真を出品する約束をしたので、今日、それを持参しがてら伊吹野の様子を見てきた。あれから10日近く経っていて、その間に雨も降っているのでかなり雪は溶けていた。伊吹山自体は1合目辺りまで雪に覆われていて、花が見られるのは随分先になりそう。

上平寺付近での積雪深は10cm程度。小泉では場所により10~30cm。樹木の下などでは円形に雪が溶けているところもあった。とはいえ、セツブンソウはほんのチラホラ。ようやく顔を出したかなというところ。

セツブンソウ
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セツブンソウの咲く場所から少し山側へ入ったところを見てみたらスズシロソウが2株ばかり開花。
セントウソウも姿は見かけたものの、まだまだこれからといった感じ。傍にあったコハコベが綺麗だった。

スズシロソウ
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セントウソウ
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コハコベ
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大久保はかなり雪が溶けていて、ここの積雪深は10~15cmほど。セツブンソウの花数はそこそこ多かった。この調子でいけば「セツブンソウふれあい祭」には十分間に合いそうな雰囲気。下板並はまだ雪が多く、30~40cmはあっただろうか。

セツブンソウ
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帰り道にシュンランの咲くところへも寄ってみたけど、花芽は増えていたものの、まだ開花までには時間がかかりそう。ひょっとしたら「セツブンソウふれあい祭」の頃なら見れるかも。さらに足を伸ばして三島池へも立ち寄った。これといった花はなかったが、池のほとりにあるネコヤナギがふっくらとしてきた。
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# by shun_photo | 2011-03-03 21:49 |   滋賀県