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宮城谷昌光 100冊

この2カ月ほど宮城谷昌光の小説を読み返していた。そのほとんどは中国の時代区分による「春秋・戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)」に活躍した人物の半生を描いたものである。書名を挙げると、太公望(全3巻)、管仲(全2巻)、重耳(全3巻)、沙中の回廊(全2巻)、華栄の丘、晏子(全4巻)、子産(全2巻)、孟嘗君(全5巻)、青雲はるかに(全2巻)ということになる。

次に読もうと予定していた本は、楽毅(全4巻)、奇貨居くべし(全5巻)かな、と思っていた矢先、毎日新聞社から「劉邦(全3巻)」が発売され、他に随筆集が2冊発売されているのを知り、早速入手した。今回入手した本を加えると宮城谷昌光の蔵書が100冊に達した。

私は同じ作家の本を集中的に読む性癖があるので、これまで同一作家の本が100冊を超 えているのは、司馬遼太郎(143)、池波正太郎(135)、吉村昭(121)の3人。今回、新たに宮城谷昌光(101)が仲間入りして、この4人だ けで500冊にもなる。

当然のことながらそれぞれの作家の持ち味は異なる。宮城谷昌光の小説の面白さはまずスケールの大きさであろうか。 蔵書の内7割が古代中国に題材をとつた歴史小説であり、主人公の多くは君主、宰相であった人が占めていることから、波乱万丈の人生を送り数々の苦難を経て功成り名を遂げたストーリー構成と なっている。小説としてはどれも面白いのだが、登場人物がとにかく多彩で名前を覚えるのに一苦労する。

特に中国の春秋・戦国時代は、日本の戦国時代と同じように群雄割拠の時代であり、戦乱に明け暮れた時代でもあった。為政者がこうした時代を生き抜くためには軍事的・行政的手腕もさることながら、高い先見性を持ち人間的にも徳性を備えて人心を掌握しておくことも重要な要素であった。

小説は人間の活き様を描くものであると言われる。現在に伝えられる文献・資料では時々の事件や出来事は知り得ても、その時代に活きた人間の心の在りようを伺い知ることは困難である。小説家は史実の裏側にある人間の葛藤や想いを言葉として、あるいは会話として表現しなければならないのであるが、人間を、そしてその人間が生きた軌跡が作者の眼を通してどのように描かれるか、というのが歴史小説に興味が尽きない所以でもある。

宮城谷昌光は物語の登場人物の心象風景を見事に活写し、読者に「さもありなん」と思わせる説得力がある。また、文字に対する造詣が深く、言葉の意味を分かりやすく解き明かしてくれる点も読者の知識欲を満たす上で大いに役立っている。

こうした中国古代の小説を読んでいて思うことは、人間というものは、有史以来4千年とも5千年とも言われる時を経ながらも基本的な部分ではそれほど変容を遂げているわけではないのではないか、ということである。私なりの解釈では、人間に「感情」や「欲望」というものがある限りこれからも根本的な変化はないのではないかと考ている。

これらの小説から読み取れることは、新たな覇者の登場は前代の覇者の一族の滅亡をもたらしており、権力の禅譲は極めて稀な出来事である。もっとも現代では法の支配が行き届いているため前代の為政者が生命の危険にさらされることはないであろうが、一部の国ではいまだにこうしたことが起きているのように思う。

動植物の世界では、同一種が繁栄し過ぎると何らかの異変がきっかけで自滅することがあるのをかつて何かの本で読んだような気がする。例えば、セイタカアワダチソウは根から出る化学物質で周囲の植物の成長を抑えてしまうことが知られており、この種だけが増え過ぎると自家中毒を起こして自分が亡びてしまうことがあるという。

人間の欲望も果てしないものがあり、生活の向上を望む日常的な営みが、結果として無秩序に汚染物質や温室効果ガスを排出して大気汚染や地球温暖化を引き起こしている。これらの事象は人間の将来を暗示しているようでもある。戦争もまた然り。我が子や孫のためにもそうなる前に必要な手立てがとられることを念願しているが、日本の現状はどうか。人間の欲望が理性を超えてしまわないことをただ祈るばかりである。

また、宗教は人間を煩悩から解き放ち、幸せな人生を送るための手段であるはずなのに、独りよがりな論理で他者を受け容れないばかりか、異論を唱える者を抹殺してしまうような暴挙すら平然と行われ、まるでかつてナチスドイツが行ったジェノサイドを思わせる。こうした状況を見るにつけ、人間とはかくも浅はかな存在であったかと改めて思い知らされる昨今でもある。宗教でよく言われる慈悲とは、まず他者を受け容れることから始まるのではなかったか。

宮城谷昌光の小説の感想が思わぬ方向に展開してしまったが、古今東西を問わず個人レベルでも国家レベルでも人間の欲望は常に狂気に転訛する危険性をはらんでいると思わざるを得ない。小説にはこうしたことの反省の機会を与えてくれる一面もある。
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by shun_photo | 2015-07-21 07:00 | 読 書