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野草・野鳥・風景写真集


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新田次郎のこと

今年2012年は、新田次郎生誕100周年だそうである。そのためか、書店の新刊文庫コーナーなどで彼の著作が並んでいるのをよく見かけるようになった。と言っても、彼は1980年に没しているので、最近出版された本は新刊といえども復刻版か新装版であって、全くの未発表作品ではない。先月、彼の著作にエッセイが少ないことに気が付いてどんなものが出版されているのか調べてみる気になった。その折りに見つけたのが「小説に書けなかった自伝」(新潮文庫)、「新田次郎 山の歳時記」(ヤマケイ文庫)の2冊である。

新田次郎は、長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)角間新田に生まれた。本名は藤原寛人。生誕地が新田で次男として生まれたことからペンネームを新田次郎とした。先日、大仏次郎のペンネームの由来を書いたが、名付けの動機はどちらも似たりよったりで、あまり深い意味合いがないところは共通している。彼の叔父藤原咲平は、昭和期の日本を代表する気象学者で中央気象台(現気象庁)長も歴任し、その叔父の紹介によって彼も中央気象台に就職することとなった。

新田次郎の著作に山岳に題材を得た作品が多いのは、霧ヶ峰を遊び場として育ったという彼の生い立ちや、就職時の配属先が富士山測候所の交代勤務員で、仕事のため何度も富士山を登頂し、その後気象庁観測部測器課長として富士山気象レーダーの建設に携わったことが大きく影響している。彼自身は登山家ではないが、もちろん多くの山に登っており、ヨーロッパアルプスにも2度にわたって長期旅行を行っていることからしても、山に関する知識が豊富であることは言うまでも無い。

出版界においては、彼を称して「山岳小説家」と紹介するのが常だが、彼はこうしたレッテルを貼られることを大変嫌っており、「小説に書けなかった自伝」の中で、地方のある講演会で司会者が冒頭に新田次郎を「山岳小説作家」と紹介したことが許せず『小説は人を書くもので山を書くものではない。「山岳小説」もないし、「山岳小説家」もない。私はそれまでの鬱憤を一気に吐き出すような勢いでしゃべりまくった。気がついて時計を見たら一時間はとうに過ぎていた。』(「山岳小説の殻を出る」から抜粋)と述べている。言われてみれば確かにその通りである。

ここで冒頭に紹介した本の内容に戻ろう。「小説に書けなかった自伝」は、その題名の通り、新田次郎が小説を書き始めてから世に出るまでのことが赤裸々に描かれている。中央気象台に勤務する傍ら小説を書き続け、責任者として手掛けた富士山気象レーダーの完成を機に仕事を辞めて文筆活動に専念するこことなる。いわゆる「二足のわらじ」を履いていたわけだが、この間、意地にも仕事をないがしろにするようなことはせず、それ故の苦労も多々あったようである。

もう一方の「山の歳時記」は、既刊の随筆集「白い野帳」「山岳ノート」の2冊のうちから、登山に関わりの深い文章を抜粋して再編したものである。その内容は、この本の裏表紙に書かれた紹介文を借りれば「四季の自然と山を綴った随筆と小説の素材ともなった山岳紀行」である。「山岳小説」の呼称を忌み嫌う新田次郎ではあるが、彼自身が登った山での経験に着想を得た小説が多いのも事実であるようだ。

私が新田次郎に接する機会となったのも「八甲田山死の彷徨」であったし、この作家の作品を深く掘り下げてみようと考えたのは「武田信玄」だった。同じ歴史小説でも吉村昭や司馬遼太郎などと比較するとかなりフィクション性が高い。それは一面、作中人物や時代背景に対する想いの深さから来るものなのかもしれない。同一人物を扱った歴史小説でも作風の違いにより内容や表現が大きく異なるのが面白い。
by shun_photo | 2012-07-11 17:32 | 読 書